第4回「好き」を仕事にしたプログラミング教材開発エンジニア

LABO  KIDS サロン 

プログラミング教育のこと、専門家の方にうかがいました。

LABOKIDSサロン 第4回 インタビュー
「好き」を仕事にしたプログラミング教材開発エンジニア

「プログラミング教育って必要なの?」「家庭でできることってあるの?」家庭での子どもの教育に悩むお母さんやお父さんのかわりに、LABOKIDS編集部が専門家の方々にお話をお聞きする「LABOKIDSサロン」。

第4回は、micro:bitを使った教材の開発に携わるエンジニア・スイッチエデュケーションCTO宗村和則(そうむらかずのり)さんです。

 

宗村和則(そうむらかずのり)さん

1985年生まれ。2013年電気通信大学卒業後、株式会社スイッチサイエンスに入社。電子部品などの製品開発を担当。2017年からは関連会社スイッチエデュケーションに転籍し、micro:bitを使った教材などの企画開発を行う。現在は同社CTO。

 

LABOKIDS編集部&ライター金子氏で、リモートにてお話を伺いました。

 

小さい時からエンジニア志向

 

編集部:小さい時はどんなお子さんでしたか?

宗村:ものづくりが好きな子でしたね。紙や牛乳パックで工作したりしてました。豆電球をつけて光で装飾したり。でもリード線とかはなかったので、アルミホイルを導線にして回路を作ったりしてました。学校の教科では、理科や図画工作が好きでした。

編集部:習い事とかしてましたか?

宗村:ピアノとか習字、水泳など、「とりあえずやらせてみよう」といった類はひと通りやりましたけど、ずっと続いたものはありません。それでも、プログラミングで音楽を作る時に、ピアノの知識が役に立ったりしています。

編集部:「大人になったらなりたいもの」とかありましたか?

宗村:幼稚園ぐらいのときは「ロボットを作る人になりたい」と考えていたようです。小学校のときもものづくりの仕事をしたいとずっと思っていました。エンジニア志向は昔から変わってないですね。

小学校の時の記憶で鮮明に覚えているのは、小1のとき算数セットについていた時刻の勉強をするための時計。長針と短針がついていて連動して動くやつです。長針を手で回しているうちに突如ひらめきました。これって自分が知ってる10進法の世界じゃないぞ、って。もちろん言葉は知らなかったんですが、10ではなくて60が基本になってることに気がついたんです。「これはすごい発見をした」と思って親にいったんですけど「何を当たり前のことをいってるんだ」で終わり。自分の感動はまったく伝わりませんでした。でも自分の知的好奇心が目覚めた瞬間として今も忘れられません。

 

 

 

プログラミングとの遭遇

 

編集部:プログラミングはいつ頃始めたのですか?

宗村:中学校のときかな。ゲームが作りたくてベーシック言語とか覚えました。本を買って独学したんですが。どうにも面白くなかった。そのうち挫折してしまって。「ゲームは作るより遊んだ方がおもしろいや」と思い出しちゃって結局離れてしまいました。これが自分の第1次プログラミング遭遇体験ですね。あまりプログラミング熱は高くなかった。

第2次プログラミング遭遇体験は高校のときですね。ロボコン用のロボットを作るようになってからです。ロボットを動かすために再びプログラミングに挑戦するようになりました。

同じ頃、「情報」の授業でもプログラミングを扱うようになっていたのですが、授業自体はよくわからなかったし、あまり興味がわかなかった。でも家でロボットを動かすためにプログラミングしていると「授業で先生がいっていたのはこういうことだったんだ」と理解が進みました。習ったことが急に自分ごとになったんですね。やってることはそう変わらないのに、第1次のときのプログラミングと第2次のときのそれは、ずいぶん違うと感じました。

編集部:第2次のときはどうだったのでしょう?

宗村:ロボットを動かすという具体的なゴールがあるので、プログラミングにも強い興味関心が出てきました。目的がないと楽しくないから、やはり続かない。

授業だけでは、「なんでこんなこと覚えなきゃいけないの?」「これが何につながるんだろう?」と、そんな疑問ばかりがわいてしまいます。ロボットという目的がなければ興味が持てずに、また挫折したかもしれません。

micro:bitなどがない時代の話で、ロボットはもっぱらPICマイコン(※)で制御していました。プログラミングは簡単ではありませんでした。乗り越えなければならない壁がいくつもあって、ロボットもなかなか思うように動いてくれない。でも動かしたい一心でプログラミングを覚えました。失敗の連続でしたが、最初の壁を越えると案外スムーズに作業は進められました。

動かすだけならきっと歯車の機械的な組み合わせだけでもいけたのかもしれません。でも簡単に目的が達成できるプログラミングというすばらしい手段がある。お金だってそうかからない。「これを使わない手はないよなあ」と当時思っていました。

編集部:最初にプログラミングして作ったものはなんですか?

宗村:本格的なものだと、高校生の時にPICマイコンでコントロールする車を作ったのが最初かなと思います。その後は、競技用のロボットやライントレーサーを作ったり。競技に出場するという明確な目的があったので、やっているうちにプログラミングの技術も上がっていきました。

 

プログラミングは心の成長にもつながる

 

編集部:現在は、スイッチエデュケーションでいろいろな製品を作っていると思いますが、企画のアイデアはどんなところから出てるのでしょうか?

宗村:例えば、新しいセンサーが手に入ればその機能から発想して何かできないかと考えたり、おもしろそうなおもちゃを見つけたら、基幹部品を取り出してそれを使って何か作れないか、と発想します。要素からアプローチする場合ですね。

逆に、目的から発想する場合もあります。例えば、ライントレーサーを作ることが決まっていて、そこにどんな機能をもたせれば、子供たちに役立つかを考えたり。

いずれにせよ、何かおもしろいものが作れないか、いつも考えていることに変わりはありません。

 

ショップの動画ではオリジナルのプログラミング作品も紹介している

 

ドキドキしないと開かない箱など、ユニークな発想のものも多い
「 ホワイトデー電子工作をしてみました。」(スイッチサイエンスマガジンより)

 

編集部:製品開発の時には、プログラミングだけでなく、筐体の設計やメカニズムの開発も必要だと思うのですが、そういったものはやはり学校で学んだのでしょうか?

宗村:大学では工学部に進みましたが、ものづくりの原点となる部分は、子供時代に習得したものかなと思います。大学で理論や技術は勉強しましたが、直接今につながるものかといえば、違うように感じています。

小学生のとき、プラモデルとかミニ四駆とか実際に手を使って組み立てていました。やっているうちに、筐体ってこうできてるんだな、とか、ギアってこういうものなんだな、ということが漠然とですがわかってきます。おもちゃの分解なんかもよくやってました。おもしろい部品が出てくれば、それを調べてみたりとか。

それらを自分の工作に応用しようと真似てみたりもしてました。もちろんほとんど動かせずに失敗するのですが、だんだん勘所がわかってくる。失敗の連続の中にも、目的に近づいている感じがわかってくる。こういう経験が、今の製品開発の仕事の基礎になっているように思います。

 

 
手作りのmicro:bitのケーキとクッキー。
ケーキは納得いくまで焼き直したとのこと!

 

編集部:製品を通して子供たちに伝えたいことはなんでしょうか?

宗村:今はスイッチエデュケーションで「ピンボール」とか「おみくじ貯金箱」とかmicro:bitを使ったパッケージ教材などを開発していますが、子供たちがゴールを決め、自分で最初の壁を乗り越える体験ができるようなものを、といつも心がけています。高校生のときの体験が下地になっているのかもしれませんね。こういった体験が、プログラミング好きになるきっかけになるし、心の成長にもつながると信じています。

 

スイッチエデュケーションでは子供向けのワークショップを開催し、
子供たちへプログラミングの面白さを伝えている(写真は2019年時のもの)

 

編集部:将来の夢は何ですか?

宗村:「自分をサイボーグのように機械化して西暦3000年まで生きる」こと。ちょっと変わった夢かもしれませんが。長生きが目的というよりは、テクノロジーの進化を自分の目で見ていきたいという思いからです。

「人間が想像できることは必ず実現できる」とはいいますが、このまま科学技術が進むとどんなことができるのか。タイムマシンや惑星への移住なんかも可能になるのか。すごく興味があります。スイッチエデュケーションの製品でテクノロジーに興味を持ってくれた子供が研究者になって、僕の夢(3000年まで生きる)を果たしてくれたら、めちゃくちゃうれしい。自分が今、種をまいておけば、誰かが大人になって実にしてくれるかもしれない。そんな気持ちで日々の製品開発に取り組んでいます。 

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※PICマイコン…1980年代、90年代に普及していたマイクロコントローラー。CPUやメモリがワンチップに収められており、メモリに書き込まれたプログラムで制御される。安価で入手しやすいことから当時の電子工作愛好者に人気があった。